なぜ、不満から変化を求めると、ますます破滅するのか?
これは「現実逃避するな」などといった話ではない。
なぜなら、現実逃避自体、誰にも迷惑がかからないなら、本人の自由といえるから。
1度自身へ、本気で問いかけて欲しい。
あなたは本当に「現実を変えたい」と考えているのか?
もし考えているなら、努力は必要ない。
すぐに終わる短い話なので、まずはこの2つの物語を読んでみてはいかがだろうか。
今回は意味が分かりづらいことは否めない。
もし意味が理解できた時、変えられない未来を終わらせることができ、変えられる未来を手に入れることが出来るかもしれない。
「変える?変えない?」選択の自由を知れ!
あなたは「変える、変えない」どちらを選ぶのも自由だ。
どちらも選べるということを、ここで保証しておくことにする。
変われた男の話①
ある男は願っていた。
「こんな現実、もう嫌だ。変えたい。変わってくれ!」
男は本気で変えようと、全力で様々なことに取り組んだ。
結果、変わったようにみえるが、何も変わっていなかったことに気がつく。
男は更に本気で変えようと、様々な方法を試し努力した。
しかしその努力も虚しく、変えようとしてもしても、しても、しても…
変わらなかった。
その結果…
男は発狂してしまった。
それでも飽きらめきれず、変わりたいと願い続けたのだった。
30年後…
男は難病にかかり、突然余命を宣告された。
男は余命を宣告されて、いかに平凡な日常が大切な事なのか気づいたのだった。
その時、男の脳裏に声が聞こえた。
「良かったな。こんなにも変われて…」
変われた男の話②
Aは追い詰められていた。
こんな予感は薄々感じていたことととはいえ、今は、そこへ眼をそむけていた自分に恥ずかしさを感じていた。
Aはこれまで物事に取り組んだ後、うまく行かず継続できなかった時、自分の部屋で、常に「変わりたい」と考え続けてきた。
というのも、Aは子供の頃から、なに不自由なく暮らしており、どちらかといえば恵まれていて、それが逆に自分自身へ疑問を投げかける時間が多くなってきたといえたからだ。
それが社会に出て、挫折を味わった時
「何のために生きているのだろう?」
「死ぬためだけに生きているのだろうか?」
という疑問に変わっていた。
Aは変わると決め、変わるための挑戦は惜しまず、自分なりの努力を重ねてきた。
それでそれなりに変わっていたと思っていた。
しかし…
その結果、それは単なる思い過ごしに過ぎなかったことに気がついてしまったのだ。
そう、変わろうと思えば思うほど、変わっていると思い込むほど、変われなくなっていた。
すると、そんなある日のこと、突然の閃きからこの理由が明らかになった。
変わりたいと思っていたのは、単なる現実逃避だったのだ。
変わろうと逃げれば逃げるほど、社会がそして家族が遠のいていっていたのだ。
これでは変われるわけがない…
Aは思い立った。
「変わらなくても良いと考え、これからは、全てを受け入れよう。変わっていることへ眼を向けるようにしよう。
そして、逃げるために変わることを求めるのではなく、今の自分と周りを大事にしよう。」と。
その結果、Aの生活は劇的な変化を遂げた。
周りはAを慕うようになり、相互に協力していけるようになることで、困難や挫折を乗り越えることも含め、全てが上手くいくようになったのだった。
これは”歯車がガッチリとハマった”と感じた瞬間だった。
全ては、はじめから手に入っていた。
周りが諦めなかったお陰で、Aは変わることができたのだ。
Aは決意した。
これからは、無理に変わろうと思わず、今を大切にしながら、周りを含めた全てを包み込みながら、成長を共にしていこうと。
変わる意味
2つの物語を通して、同じ変わるにしても、望んでいる方向に変わらなければ意味がないことが理解できたと思う。
自分自身を含め世の中は、変わりたくなくても、どんどん変わっている。
変化を受け入れ、その変化に対応しながら、自分自身の世界を構築していく必要があるといえるのではないだろうか。
変わりたい時には?
変えたいと思うのであれば、遠い世界の果てを目指すようなことは、行ってはならない。
思考を現実から離れてさせてみても1時的な気休めに過ぎず、結局はまた元に戻ってしまうからだ。
まずは現在の自分と、その自分の立ち位置をしっかりと理解し、その上で、出来ることをやっていくこと。
外の世界では、突飛なことでアプローチして、あなたの気を引こうとするだろう。
当たり前を侮ることなかれ。
与えられてばかりでは何も変わらない。
自分の望む世界へ変えたければ、まずは自分の望みを知ることだ。
ホメオスタシス(恒常性維持機能)が邪魔している。「変わりなさい」という隠された罠とは?
ホメオスタシス(恒常性維持機能)とは、自己啓発、MLM、宗教などでよく誤解されて使用されている言葉の1つ。
例えば、変わろうとすると元に戻そうとするから、もっと大きく変わろうとしなさい。
極端にいえば、家族が邪魔するなら離れなさいといった内容。
変わりたいと思う前に「そもそも変わる必要があるのだろうか?」といった問いかけが必要となる。
正確には生理学者キャノン,W.B.により提唱されたものであり、新行動主義者のハルは「動因低減説」で、ホメオスタシスが安定していると行動しないことを証明。
※この理論は正しくないことが感覚遮断の実験で証明
つまり余程特殊な状況でない限り、切羽詰まらないと行動を起こさないという見方もできる。
※更に内発的動機づけの理論により、ただ、やりたいからやることもある。
ここでは行動を起こす、起こさないという視点ではなく、ホメオスタシスの作用について補足を追加。
”家族の構成員の不適応や精神病理は、その構成員に原因があるとは考えず、家族システムの秩序維持である「家族ホメオスタシス」の作用やそれが歪んだせいだと考えます。
つまり、家族内コミュニケーションに悪循環が生じると、そのシステムの秩序維持(家族ホメオスタシス)作用への反発として、特定の家族に不適応や精神疾患が生じると考えるわけです。”
https://psychoterm.jp/basic/perception/01.html
ということで、ホメオスタシスとは元の鞘に収めるために使用すべきであり、それを無理に壊そうとしたり、自分だけが変わろうとすると歪みが生じてしまい、精神疾患が生じる可能性を上げてしまうというリスクを伴ってしまうということを知る必要がある。
時にリスクを選択する必要がある。だからといって、精神疾患を起こしてまで行う必要はない。
変わろうとすればするほど、弱っていきかねないからだ。
結局、変われない?
結局、「変われない」といった事態にはならないだろうか?
その場合、どうすればいいのか?
変わらない恐怖、変わってしまう不安を克服
変わってしまう不安、変わらない恐怖を克服するためには、孤独感を無くすこと。
なぜなら、誰しも身近な人を悲しませたくないからだ。
「あんなにも変わってしまった」と。
これは社会性の心理状態で起こる一種の本能のようなものであり、もちろん、そう思われるとは限らない。
変化を起こすことは、孤独を避けたいが故に、孤独感がブレーキになりやすいというだけの話だ。
もちろん「社会性」それ自体は無くしてはならない。
その上で、孤独感をブレーキにしないためには「なるほど。みな孤独を抱えているんだ」という事実を知り、理解していこう。
この件についての詳しくは、別の機会に…
変われる可能性は?
ありのままに変われる可能性を提案。
あなたは本来の自分自身を思い出すだけで、思い通りの方向へ変わることができる。
本来の自分自身とは、生まれたての自分自身より以前の状態。
それは前世などというおとぎ話ではない。
まだバラバラの物質だった頃の話だ。
そう。あなたは以前、誰か(何か)だった。
あなたは世界の1部であり、あなたの1部が世界だったのだ。